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2019年10月10日 (木)

好き嫌いがなくなるときって,偶然の出会いが9割

私が保育園に通っているときは,好き嫌いの激しい子どもでした。当時はアルマイトの弁当箱にご飯をつめて,保育園にある保温器(冷蔵庫のような外見ですが,冷たくするのではなく温かくするのが目的の家電製品)に弁当箱を入れておき,給食の時間には保育園でつくった温食(おんしょく)と持参したご飯を食べるという組み合わせでした。

保育園でだされたおかずが美味しくなく,あまりいい記憶はありません。特にアルマイトのお椀に温かい牛乳を入れた飲み物は苦手。今でも記憶に残っているのは,弁当箱にナスビをまるまる入れて家に帰ったこと。「残さず食べなさい」と先生に言われたのにどうしても食べられなくて,こっそり弁当箱に隠したのでした。

家でも好き嫌いが激しく,鶏肉の手羽元を食べるとき,私は皮だけをたべて肉の部分は残していました。それが許されていたから甘やかされていたのでしょう。

小学校に入学してからもその性行は変わらず,給食がどうしても食べられなくて,お昼休みにも嫌いな食材を前にめそめそしているような1年生でした。

当時,萩原君という丸坊主の男の子がいました。いつものように嫌いな食材を前にメソメソしている私に「嫌いなものを全部一緒に口に入れるといいよ。味が混ざって分からなくなるから」と声をかけてきました。私の記憶はここで途切れています。以後,私が食べ物を前にメソメソした記憶はありません。私が好き嫌いなくご飯が食べられるようになったのは,間違いなく彼のおかげです。

でも,不思議なことに萩原君の記憶はこのときのやりとりだけ。他はまったくありません。おそらく転校して私のクラスに来て,すぐに転校して去っていったのでしょう。まるで私にアドバイスをするためだけに現れたかのように。

似たようなことはもう一つあります。私は小学1年生のときは勉強嫌いでした。宿題のプリントは机の裏に隠してまったくしませんでした。それが親に見つかって怒られ,提出したら担任の先生に睨(にら)まれ,胸が苦しくなった思い出があります。とうぜん成績も中の下でした。

それが2年生になったときに変わりました。担任の先生が病気のため,代替に一度退職した先生が担任になりました。今村先生という表情が柔和な優しい先生でした。この先生は私にいつも微笑んでくれました。勉強もおもしろくなり,成績もよくなりました。今村先生が学校にいたのはこの1年だけ。その後私は勉強が好きになり,学校が楽しくなりました。

運命と言えば大げさですが,出会いの不思議さを思わずにはいられません。人の性行は簡単に変わらないと思いますが,私は人との出会いで性行が劇的に変わるという体験を2度もしています。私にとっては年少のうちに,よい方向に導く人に出会えたことは本当に幸運でした。

私は運を大事にしてきましたが,人との出会いを大事にしてきただろうか。おざなりにしているとしたら,もったいない時間を過ごしてきたといえるかもしれません。

霧の中声を出さねば霧と化す(藤井亘)

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