アミュ地下フードコートの奇妙な人々 おじいさんダンサーの巻
月曜日、火曜日と雨が続きます。どうやら鹿児島市内の小中学校や高校は水曜日、木曜日と休校とのこと。大雨に対する警戒が強まっています。
仕事からの帰り、バスを待つ10分余りの間、私はしばしばアミュ地下のフードコートで時間をつぶします。本を読んだり、飲食をしたり、人物観察をしたりとその日の気分で過ごしています。
普段は学校帰りの高校生や短大生で混雑するのですが、さすがにこの2日は少ない。明日、明後日が休校ならば今週は商売あがったりかもね。休校で出歩く勇気のある学生はそんなに多くはいないでしょう。これで大雨のトラブルに巻き込まれたらそれこそ「大馬鹿者」です。
こんなアミュ地下にも常連の顔があります。学生は年々変わっていきますが、お年寄りの皆さんは変わりません。おばあさんたちはあちこちでグループつくっては駄弁り合い、おじいさんたちはたいてい一人でスマホ(?)をいじったり、お弁当を食べたり。ぼーっとしていたり。新聞を読んだり。何度も、そして何年も目にすると自然と顔を覚えます。
その中でも異色の存在がおじいさんダンサー。鍛え抜かれた肉体でアミュ広場でダンスをしています。いつもキャップに黒いサングラス、イヤホンを耳にはめ、体を動かしては奇声を発しています。ダンスの切れ味はさすがですが、体力が続かないのか、私が見ているときはいつもダンスは10秒以内に終わり、休憩に入ります。私が立ち去るまでに2回目のダンスを始めた記憶はありません。持久力は年相応なのでしょう。
お年寄りになって家にこもるよりも、にぎわいを感じる場所に身を置きたいという人もいて当然。とにかく注目されたいダンスじいさんはともかく、大抵のお年寄りは何か目的があるわけでもないようです。阿久根の24時間営業のスーパーでも、このようなお年寄りがちらほらしています。どこも変わらない風景なのでしょう。
今日の私は「學士會会報」の小論「自公政権の二十年」(中北浩爾)、「米中対立はなぜ深刻化したのか ー露呈した『社会主義市場経済』の限界ー 」(阿南友亮)を読み、時間をつぶしました。バスの時間がきたので席を立って向かおうとすると、近くにダンスじいさんがやってきて、いつものように女子高生のグループに話しかけ、そしていつものように備え付けの水を飲んでいました。ちなみに彼がフードコートの商品を飲食する姿を目にしたことはありません。
いつもの風景を見ながら、逆に考えました。常連のお年寄り達は私の存在に気づいているんだろうか? 彼らからすれば私はどのような存在なんだろうか? 彼らの表情を観察する限り、おそらく私の姿は数多く訪れるアミュの客たちの風景でしかないかもしれません。
ゴッホ展ガラスに映る我の顔ばかり気にして進める順路(俵万智)
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