« 「弱小」の代名詞 東大野球部94連敗からの脱出劇 カギは食にあり | メイン | 熱く語る高校の同級生と20年ぶりに再会 ステージ4の悩みと驚き »

2019年7月 6日 (土)

進化論をめぐる争いと誤解 ヒトは進化の頂点ではないってこと

「『読まなくてもいい本』の読書案内」(橘玲)を読んでいます。今、進化論の章です。進化論はアメリカでは多くの有識者が受け入れがたい(拒絶している)説だと知っていますか? アメリカはアマゾン、フェイスブック、アップル、グーグル(いわゆるGAFA)に代表されるようにITの最先端を行く国ですが、その一方で聖書にあるノアの箱舟やアダムとイブの話を多くの国民が信じているキリスト教社会でもあります。彼らにとってはヒトは神が創造したものであるので、進化論とは水と油の関係なのです。

そして、進化論を信じている人々にも進化について誤解があります。その典型例が「ヒトを高等生物として、昆虫、魚類、は虫類、哺乳類、霊長類を直線状に並べること」。ヒトに近い生物ほど優れている(進化している)という考え方です。

でも進化と進歩を混同するのはまったくの間違い。トカゲやアリはもちろん、ウイルスであっても40億年の進化の歴史を経て現在の姿になったのです。自然(生態系)はヒトを頂点とする一本の棒ではなく、峠がたくさんある、ごつごつした岩山のようなもの。そして筆者が強調しているのが、「いちばん高い山の頂にいるのがヒトであるとはかぎらない」こと。進化の基準を知性(意識の複雑さ)に置くなら、ヒトがもっとも優れているのは疑いがありませんが、子どもの数や繁殖度で進化の効率を測るのなら、もっとも成功した生き物はアリやハチなどの社会性昆虫になるわけです。「進化論的に優れた生き物」を議論するよりも、すべての生き物がそれぞれの進化の頂点にいると考えた方がすっきりする。進化論は生き物には優劣も貴賤もない、「リベラル」な科学というわけです。

この著書の中では進化論を巡るさまざまな論争とその結末を記していますが、非常にドラマチックで事実を事実として受け止めることがどんなにやっかいなことか気づかせてくれます。

それと並行して、小論「遺伝統計学で迫る日本人集団の適応進化」(岡田随象)を読みました。橘玲の紹介する進化論を読んでいればおもしろさも倍増します。特におもしろかったのは2カ所。

ひとつは染色体の数です。ヒトは23対(46本)の染色体があります。この染色体にはヒトゲノム(遺伝子情報)が収められています。染色体が多いほど高等生物かというとそうではありません。ショウジョウバエは8本、猫は38本、金魚はなんと104本もあるとか! 驚きでしょう。

そしてもう一つ面白かったのが三葉虫の進化でした。古生代(恐竜どころか地上に生物がいないぐらいの大昔です)の世界中の海に生息していた三葉虫は、それぞれの環境に適応して、長い棘(とげ)のはえたもの、目玉が飛び出たもの、5ミリ程度の大きさのもの、70センチ程度の大きさのもの、甲羅を二つに折り丸めるものなど、1万種類(!)以上の種がいました。しかし、徐々に絶滅し、最後まで生き残ったのは最初に登場したのと同じシンプルな形の三葉虫だったとの研究結果です。

いまや科学技術の進歩で社会環境はものすごいスピードで変化していきます。環境に抵抗していくために私たちも日々勉強、成長していきます。でも、最後に生き残るのがもっともシンプルな形だとしたら、ヒトの場合も最先端技術を求めない、多少の不便があっても適応しない、もっともシンプルな生活こそ、もっとも最後まで生き残るのかもしれませんね。

ところで今朝は市民農園に行ってきました。かぼちゃは手のひらよりも大きな葉を10枚程度広げていました。どんどん地表を這って伸びていくのですが、うまい具体に通路へは飛び出ず、クローバーが密生する畑の縁に沿って伸びています。土がむき出しのところにはかぼちゃも進みたくないんでしょうね。キュウリもいよいよ蔓(つる)を伸ばし出しました。

連日の大雨で周囲の畑はどれもこれも畝が崩れ「まったいら」になっていました。幸い病気とかの発生はないみたい。私の畑は最初から畝がない(耕してもいない)ので普段どおり。あーあ、それにしても、どうして陸稲は芽が出なかったんだろう。2ヶ月経過してもクローバーだらけとは。寂しすぎるよ。先月まいたゴマも見当たらない。ぜんぶ雀や昆虫に食べられたのかしら。

憂(うき)ことを海月(くらげ)に語る海鼠(なまこ)かな(黒柳召波)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/716622/34184112

進化論をめぐる争いと誤解 ヒトは進化の頂点ではないってことを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿