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2019年7月24日 (水)

春秋左氏伝を読み始めました 編年体とはいえ味がありました

私は中国の古典をよく読みます。もっともよく読むのが「論語」。ひとつひとつがとても短いのでぱっと本を開いたところを拾い読みするのがいつものスタイルです。

次によく読む本が漢詩。「李白詩選」「唐詩選」「中国名詩選」が我が家にあり、かいつまんでは読んでいます。これは朗読をするととてもいいですね。ごつごつした語調が気持ちを高ぶらせます。いまどき漢詩を吟じる人など聞いたことがありません。私のような人間は絶滅危惧種ですね。

そしてなんといってもドラマチックなのが「史記列伝」です。中国の戦国時代、漢の時代の人物に焦点をあて、その人の歴史をおっています。いわば中国版大河ドラマみたいなもの。ひとつひとつが簡潔で文章も短く、そこらの短編小説よりもずっとおもしろい。

史記列伝のような人物の生い立ちから死ぬまでを物語にしたものを紀伝体といいます。それと対をなすのが編年体です。編年体とはその年に起きた出来事を書き記したものです。私が高校生か大学生のころ、この編年体とはどんなもんだろうと代表的な古典「春秋」がタイトルにあった「春秋左氏伝」を手に取ったことがありました。

本を開くと例えばこんな書きぶりです。

成公十一年

1 十有一年春、王ノ三月、公、晋ヨリ至ル

2 晋侯、ゲキシュウ(変換できない漢字)ヲシテ、ライコウ(変換できない漢字)セシメル

  己丑、ゲキシュウ(変換できない漢字)ト盟ス

なんじゃこりゃあ! でしょう。1分もしないうちに読むのを諦めました。

それから30年。改めて中国の古典が読みたくなり、再び「春秋左氏伝」を読んでみました。そこでようやくこの本の魅力を理解しました。春秋左氏伝は「春秋」といういわば年表に、「左」という人物が注釈をつけた本です。先にあげた読み下し文のあとに、左氏の注釈が記されています。春秋からの引用部分を「経文」、左氏が記した注釈の部分を「伝文」といいます。そしてこの「伝文」のところには史実に基づく説話が記録されているのです。

2千年以上昔の中国のことですから、「礼」や「君子」といった観点によって価値判断をしていますが、その内容はやはり人間ドラマです。歌舞伎でいうなら仮名手本忠臣蔵という大きなドラマのなかの「殿中松の廊下の段」や「討入りの段」のような、ここぞという場面をピックアップした物語なのです。

まだ上巻を読み始めたばかりですが、このドラマ以外にも、古代中国の豆知識みたいなコーナーあり、批評あり(価値観は現在と全然違いますが)でとても面白い。一度に読み通そうとすれば骨が折れますが、一日1年と決めた読み方をすればその日その日で結構楽しめます。

それではと、春秋左氏伝をこのブログで詳しく紹介しようと考えたのですがすぐに挫折しました。だって書中の漢字を表示できない(変換できない)んだもの。これには閉口しました。

兵馬俑(へいばよう)何百何十何体の思考直立したまま眠る (俵万智)

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