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2019年7月

2019年7月30日 (火)

「天気の子」を天パラで観る 夏休みなのに観客10人子どもゼロ

今日は会社は休み。どう過ごそうかと昨日から考えていたのですが、結局いつものように映画を見て、献血をすることにしました。

休みだからといって朝から家でだらだらするのももったいない。それに普段通勤するときのバスに乗ったらいつもの20代の女性とバス停で会えるかもしれない、天文館にでるならバス定期券も使えるし、という不純(?)な動機でいつもの通勤バスを利用することにしました。

うれしいことにバス停では彼女と一緒になり、今日は休みであること、映画を見に行くことなどを話すことができました。彼女は「いいですね、私はお盆に2日ぐらい休めるかな」とのこと。どうでもいいような会話ですが、朝にこういう話ができると気分が明るくなります。

天文館パラダイス(天パラ)に行くのは何年ぶりでしょうか。たしか前回天パラで見た映画は「神様メール」。ストーリーが非常にシュールなフランス映画でした。

でも今日は違います。新海誠監督の「天気の子」。数日前の朝日新聞に特集記事が出ていました。この記事を書いた記者は、「エンディングがディストピア(ユートピアの反対)、しかし、映画を見た若者達は主人公らの未来は明るいと感じた」とのこと。この違いがどう映画で表現されているのか興味がわきました。それになにより「君の名は」はエンディングで涙がでそうになったぐらい感動したので、次回作は当然気になっちゃいます。

画像の出来は「君の名は」以上といってもいいくらい精密で実写のよう。でもストーリー展開がねえ。登場人物も少なく、私には一本調子に思えていまひとつ。ハラハラドキドキが前作に比べてありませんでした。

映画を見終えて、私はディストピアという印象は受けませんでした。記事にあった若者のように、二人の未来は明るいという印象を受けました。世界はどうあろうとも私たちは私たちの幸福(愛、恋人)を選択するという強い意志を感じました。それはエゴ(自己利益)丸出しという意味ではありません。これまでの映画や小説などにありがちな、世界の誰に知られることがなくても命をかけて世界を救うんだという使命感よりも、自分にとって大事な人、身近な人こそ救うべき、というメッセージを感じました。そういうところは「君の名は」とはちょっと視点が違いますね。

見えないところで世界を救う物語というと「カエル君世界を救う」(村上春樹)を思い出します。おそらくこの映画の観て感動する若者達は村上春樹の短編小説を理解できないでしょうね。

ところで残念なことをひとつ。朝9時スタートだったということもあるかもしれませんが、観客は10人ぐらいの寂しさ。しかも子どもは見当たりませんでした。「天気の子」はアニメですよ。アニメと言えば子どもですよ。子どもと言えば夏休みですよ。どうなってるの?

映画を観た後、献血ルームで成分献血をして、近くの定食屋でお昼にしました。午後2時ぐらいのバスで帰りましたが、天文館で出会った小中学生はほんの数人。通行人のほとんどはお年寄りか中国人でした。子どもたちは塾や宿題で忙しいんでしょうか? それとも家でぐうたらしてるんでしょうか? アミュプラザで映画を観てるんでしょうか? 最後が一番ありえそう。

死後のことしっちゃあいねえや夏旺(さか)ん (和田耕三郎)