畑は自然の恵みを得られるようにするだけ 私の人生は私が決断するだけ
今朝はいつものように市民農園へ。畑にまいた麦わらはほとんどクローバーに覆われていました。2週間前に植たカボチャの3つの苗は元気に葉を広げていました。今回はキュウリの苗を2本新たに植えました。自宅のプランターに種を播いていたものが先週本葉を広げたからです。カボチャと同様、畑に移植しました。
ハッピーヒルを播いたのに全然姿が見えません。もう1ヶ月以上経過しました。もう無理だろうという妻のアドバイスもあり、米を播いたスペースにゴマの種を播きました。ゴマはどんな土壌でも生長するようで、米よりも早く9月には収穫できるようです。
キュウリの苗を植えるために、クローバーを刈り取って地表に広がる根を剥ぎ取ると、大きなミミズが姿を現しました。全長20センチもある大きなミミズです。この畑で初めてミミズを見ました。こちらは土づくりがうまくいっていることの証明。とても嬉しくなりました。
家に帰り、朝日新聞を取り出すと1面の記事が興味をひきました。
今朝の1面は「ひきこもりのリアル」。ひきこもりの44歳の男性が紹介されていました。私と同世代です。中学時代のいじめで人に心が開けなくなり、高校時代は友達もできず必要な時以外は学校で一言も話さず、現役合格した京都大学では4年間ほとんど行かなかった。5年目から通い始めたが単位を取りきれず中退。就職案内は5年目からは激減。就職活動を諦めて以来20年両親の世話になっている。
私の人生を振り返ると、中学は部活、高校は寮生活、大学は体育会、と常に誰かとかかわらないといけない環境でした。しかし、無口な性格なので、学生時代は一日中ほとんどしゃべらないこともありました。大学ではまじめに勉強せず、就職活動はまったくしませんでした。そして就職が決まらないまま大学を卒業。
ずいぶん私と重なるなあと思いました。就職浪人のときは私も将来が非常に不安でした。
今、幸いにも仕事に就いて、彼女ができたことはないものの縁があって結婚でき、子どもも授(さず)かりました。私は運がよかっただけかもしれません。
新聞では両親が死んだ後のことを心配していました。が、日本には「生活保護」という制度があるので経済的には心配はいらないのです。朝日新聞はそのことについて何のコメントもありませんでした。そんなことを言っても何の慰めにもならないからでしょうね。
新聞を読んで思うのは、ひきこもりの男性の半生において、彼が主体性を発揮した様子がほとんど感じられなかったこと。あえて言えば彼が5年生のときのアルバイト経験か。
私にとって大事なことは自分の人生は自分で決めることです。周囲の反対を押し切って京都大学をいちかバチかで受験したのも、留年したのも、就職浪人したのもすべて自分の決断。他人と話をしないのも自分の性格を優先した結果。就職したのも自分の決断。たとえこじつけとしか思えなくても、そうやって納得してきました。
今の自分の境遇を環境や第三者の責任に帰する考えは私にはありません。変えることができるのは自分だけ。環境や第三者といった「運」は待っていてもつかむことはできません。自分で引き寄せるしかないのではないでしょうか。
父の外に立ちいる決意少年に氷湖は固き風景となる(武川忠一)
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