« 憎っくき野良猫を挟み撃ち・・・ のはずだったけど | メイン | 鹿児島ユナイテッドのシャトルバス 発着場所っていつ変更したの? »

2019年3月 8日 (金)

献血ができる喜び、私にできる数少ない社会貢献

今日は仕事は休み。午後から天文館献血ルームにいったところ定休日。そこで「かもいけクロス」へ行きました。

高校2年生の時に初めて献血をしてから、これまで少なくとも年に1回は献血をしています。特に就職してからは成分献血が始まり、2~3ヶ月ごとに献血(ほとんどは成分献血)をするようになりました。

若い頃は献血をするのは当たり前と思っていましたが、30代後半のとき、職場で献血の協力をしたときのこと。応じたのは私一人だけでした。そこで当時の会社の同僚に献血するよう薦めたところ、血液の性質やC型肝炎などで全員が献血不可との返事。そう、20数人いるなかで献血ができる体は私一人だけだったのです。

その出来事を経験してから、できるだけ献血をするようになりました。献血カードを作ったのは確か20代。今日の献血でカードには「61回目」が記録されました。

昨年ぐらいから、献血ルームに行くと献血室に入るまでずいぶん待たされます。今日もベッドが全部埋まっていると言うことで20分近く待ちました。昨年は成分献血は十分確保されているとの説明があり、400ccの献血を求められたこともありました。これだと十分血が足りてるみたいですよね。

しかし、事実は昨年に比べて減少しているんですね。献血室のテレビ画面に統計のデータは、そのことを示していました。少子高齢化で血液が必要とする人は増え、若い人が少なくなり、ましてや献血適性も厳格化。長期的にみると血液が足りなくなるのは当然でしょう。

今年2月、有名女子水泳選手が白血病であることを告白しました。以来、彼女への応援メッセージや骨髄バンクの相談が増えたと連日報道されました。しかし、覚えている限り、骨髄バンク登録者数が増えたというニュースは一度もありません。彼女の告白後の登録件数は公表されていませんが、実際は増えていないのであえて報道しないのかもしれないと勘ぐりたくなります。

「言うだけは『ただ』だから」と揶揄(やゆ)する気はありませんが、実際に彼女を救うために行動できる人はほんのわずかだと思い知らされます。手前味噌で恐縮ですが、体の一部を提供する(あるいは提供できる)とは本当に貴重なこと、そして人を救えることは本当に幸せなこと。献血前、検査室の壁に中学生の描いたポスターが張ってありました。輸血を受けた人々が笑顔を見せていて「ありがとう」の文字が大きく表示されたポスターでした。この絵を見ながら、ふと、そう思いました。

紅梅の花にひねもすこもり居てまだあるのかいとたずねつ(土屋文明)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/716622/34171987

献血ができる喜び、私にできる数少ない社会貢献を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿