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2019年11月12日 (火)

「命を守る行動をとってください」 自分の命すら人任せの現代日本

今朝の朝日新聞は,東日本に大きな被害をもたらした台風19号の上陸から1ヶ月ということで,特集記事を掲載していました。

その中に,朝日新聞らしからぬ挑戦的な論客のコメントが掲載されていました。「耕論 水害大国に生きる」のコーナーで「命の判断委(ゆだ)ねず自分で」の見出し,論客は角幡唯介(かくはたゆうすけ),肩書きは探検家・作家です。

その内容を簡単に紹介すると,台風19号が上陸したとき,NHKの台風情報をずっとチェックしていた。アナウンサーが何度も繰り返す「命を守る行動をとってください」という言葉が煩わしくて嫌だった。そもそも命を守る行動を判断するのは個人。それは人間の尊厳にもかかわる本質。災害の際も,自分の命を守る判断を自分以外に指図されるべきではない。NHKも命令ではなく,より詳細な情報で切迫感を伝えるべき。というもの。

人の命が最高の価値という現代にあって,この論客の意見はバッシングを浴びそうです。適切な判断ができない人(認知症や知的障害者など)は誰が救うんだという反論もありそうですが,その反論についてまず私の考えを。

さまざまな生命体が地球上には存在しますが,種の保存がどの生命体のDNAに刻まれています。だから人間はセックスして子どもをつくろうとし,そのために様々に進化していきました。異性を引きつける行動(求愛行動)が,動物によって様々なスタイルがあります。人間も同じです。

そう考えると子どもを残す可能性のある動物(人を含む)は,災害などの生命の危機に遭ったとき,生き残ること,あるいは子どもを残すことを最優先に考えるはずです。

逆説的ですが子孫を残す考えのない人は,自分が生き残ろうという意識が子孫を残したい人の意識と比べて相当低いことが推測されます。よく高齢者が残り少ない人生をあくせくするよりここを死に場所としたいという話をしますが,それに近い感覚かもしれません。念のため言いますが,これは「高齢者(社会的弱者)は死んで当然」ということではありません。「天は自ら助くる者を助く」という意味です。

さて,本論に戻ります。この論客は,スマホやカーナビに代表されるように,本来は個人が判断すべきことを外部に委ねていては判断能力が衰退していく,これでいいのか,ということにつきます。「命を守る行動を」のアナウンスに頼ると「命」の判断すら外部に委ねてしまう。命の判断すら外部に委ねる人に「人間」としての価値はあるのか? と問いかけているのでしょう。

現代の高度知識社会では判断することが多すぎます。電子マネーのしくみ,複雑になった契約書,素人に修理できない家電製品,身近なところでは振り込め詐欺の手口の多様化などなど。一昔前ならごく一般人であれば対応できていたことが,今では専門家でないと手が出せなくなっています。これは知るべき知識が多すぎてもはや一般的な人間の処理能力をオーバーしつつあることの証左だと思います。

私は基本的には論客の判断に賛成します。しかし,生き残りの方法として「命を守る行動」のアナウンスもいいのではないでしょうか。アナウンスがないと自分の命さえ守れない人は,それだけ判断能力が低下していくでしょう。人間の本質的な能力が低下していくことは否めないでしょう。でも,それは今に始まったことではないのですから。

高度知識社会の行き着く先を憂えても,利便性の向上を追求し続ける人間の「本能」の前に,そんな議論は無力ではないでしょうか。ちなみに私は論客と同じようにスマホは持ちません。体調や天候の判断は自分の本能を最優先にしています。幸い,生命の危機の判断する状況になったことはありません。

恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死(穂村弘)

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