久しぶりに実家に日帰り 年寄りの両親の話題は病気のことばかり
今日は仕事は休み。1ヶ月ぶりに実家に顔を出しました。
幸い両親とも元気にしていました。しかしどちらも70歳を越えているので話題は健康・病気のことばかり。近所のお菓子屋のご主人が脊椎狭窄症(せきついきょうさくしょう)になって大変だとか。たしか両親よりも年上。体が弱っているんですね。脊椎狭窄症とは難しい病名ですが、最近はメジャーらしく、このテーマの本がたくさん出版されているとのこと。世の中の動きはどんどん難化、細分化していきますね。ついていけません。
父も立ち上がるときは足がおぼつかないとか。母の説明では、出産直後の子馬が自力で立ち上がるような感じだとか。うーん、光景が目に浮かびます。もう歳なんだからじっとしていればと思うのですが、本人はだからこそ運動しなければと決意しているみたい。その気持ちがあれば、もうしばらくは長生きしそうです。
私の祖母が暮らしていた家が実家の近くにあります。祖母が亡くなってからもう20年以上空き家になっています。その家は梁(はり)がシロアリに喰われていて、外から見ると屋根の稜線が波打っていてとても住めたものではありません。
家の中の道具など、必要なものを取り出すなり、不要なものは少ずつゴミ処分場に搬入した方がいいのでは、と話を振ってみたのですが、父は「いずれ家を解体するからそのときでいい」と耳を貸そうとしません。
かといって、解体に要する費用がいくらかの試算もまったくしていません。ずっとそれを理由に放置しているのですから、結局のところやる気がないんでしょう。本人は放置していることが最善の選択だといいますが、残される(予定)の者からすればたまったもんじゃない。私もいつまで元気でいられるとは保証できないんだから。お金がないなら自分たちでやるしかないのに、って思うんですけどね。
実家の商売を手伝っている私の弟と話をすると、頑固な父と仕事をしているので、いろいろと衝突もあるとか。弟ももう45歳。いい歳なんだけど、父は依然として店を継がせる気はないみたい。閑古鳥がないている店を切り盛りする気力はないけど、子どもに跡を継がせる気もない。この20年あまりだらだらと続いていますが、この調子がまだまだ続きそうです。
私は中学生を卒業と同時に実家を巣立ちました。当時は少年ジャンプの黄金期。毎週200冊売っていました。夏祭りのときには店内は満員電車並みに混み合っていました。従業員も2~3人雇っていてとても活気がありました。
あれから30年経ちました。今やお客さんの姿がいない時間が一日のほとんどを占めます。あの頃のにぎわいは遠い過去のことになっています。20年前、コンビニがこんな田舎に出店するはずがないと思っていたのに、今ではあちこちに乱立状態。国道沿いの田畑は農地転用されて大型量販店がずらりと並んでいます。実家の商売がお客様のニーズにあわないから衰退しているといってみればそれまでですが、経営環境がここまで変わるなんて当時は予想できませんでした。
でも、考えてみると両親はいい時代を過ごすことができたと言えるのかも知れません。戦後の貧乏な時代に生まれ、青年期、壮年期は日本の高度成長とともに自分の商売を拡大し、私たち子どもらが全員大学を卒業できるだけの稼ぎがありました。そして現在は、売上げがほとんどない商売と同様、年老いた姿になりました。両親の人生とお店の盛衰は軌道を重ねているようです。
ひところは「世界で一番強かった」父の磁石がうずくまる棚(俵万智)
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