熱く語る高校の同級生と20年ぶりに再会 ステージ4の悩みと驚き
関東から高校時代の友人が鹿児島に戻ってきました。私のガラケーに飲み会の案内があり、週末は当時の同級生10人が集まりました。
この仲間は構成こそ違え、年に数回は集まるのですが、私は半年ぶりに参加。体調を崩していたこともあってしばらくの間、飲み会は遠慮していました。1人ならともかく、大勢集まるとついついアルコールが進んでしまいますからね。
関東から来た友人は20年ぶりの再会。高校生の時から情熱的だったのですが、今でもその「熱さ」は今も変わりません。現在の仕事の取り組み方や考え方、最近感じていることなどをそれこそ熱く語っていました。松岡修造みたいな奴です。
いろいろと話を聞く中で驚いたのが、同級生がガンのステージ4の状態であるということ。関東の友人に病状について相談が来て知ったようです。ステージ4とは通常であれば末期。ひょっとしたらもう死を覚悟しているかもしれないと受け取った側は思っていたらしく、周囲にも相談しにくくて悩んでいたようです。
がんを患(わずら)っている友人は私も高校時代仲良しでした。クラスマッチでは百人一首大会にペアで出場したこともありました。数年前に鹿児島に帰ってきたということで飲み会をしたときも、元気にみんなと語り合っていた。その彼が・・・と思うと言葉が浮かびませんでした。
話を最後まで聞くと、今は職場に復帰しているとか。遺伝的にガンになっても治る人もいるらしく、その友人は以前も胃がんと診断され、治療して職場に復帰していたということもそのときに初めて知りました。
「がん」と聞くと普通は心配しますよね。特に若いうちは進行が早い。詳しい病状はわかりませんが、人生ってこんなにも短いのか(まだ彼は死んでませんが)と、なんだか寂しさを感じます。
飲み会では冗談を言い合いながら楽しく飲みつつ、こういうシリアスな話もどんどん乗り越えていく同級生の態度をみて、みんな立派だなって感心しました。
がんの話題が終わった後、松岡修造タイプの同級生は私に高校時代の私の言葉を何度も繰り返しました。「逃げ場をつくってあげなきゃいけない」。私が上級生だったとき、下級生を指導する彼に穏やかに諭(さと)した言葉でした。彼はよほどこの言葉に強い印象を受けたらしく、今でもこの言葉を胸にとめて人に接しているとのこと。
そういうことを言われて、うれしいような、恥ずかしような。逆に私は彼のような体験がありません。普段は流されるようになんとなく生きていることがほとんど。きっと彼は、私の何倍も充実した人生を送っているのでしょう。おそらく、今の私の人生は何かが欠けています。それが何なのか、見分けようとしてもぼんやりとした霧の中にあるようで、自分自身もよくわかりません。
総じて人付き合いが淡泊な私には彼のような「熱さ」がありません。そして、長期にわたる裁判や、難航していた契約の成立。そういった困難な仕事をやり終えたときですら、私はひとり静かに食事をしながら、誰にも語ることなく仕事の余韻(よいん)に浸(ひた)る。たぶんそれが私の性格で、もう変えられないのかもしれません。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの(池田澄子)
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